キミの元に届け

最愛の人へ届けるための主に趣味を綴るブログ

お久しぶりです、元気にしてますよ。

もうすぐで、三年か、そうか。
正直、コロナ禍によって、去年今年は亀助のご家族と会うことが叶ってない。
お母様とは、しょっちゅうではないがLINEでつながっているので、大きめな地震がきた先日、すぐ連絡とったし反応もいただいたので安心はしている。


3年が過ぎ去る前に少しだけ思い出話をさせてほしい。
アレもやりたい、コレもやる、ってなるもんだから、ブログまで手を回せないでいるけれど、また趣味の話やうたプリや手芸の話を、ちょいちょいブログにアップするために背中を押したいから。

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亀助のご両親のことは気になっている。悲しいことを抱えたままなのは辛いかもしれないが、出来ればお元気で過ごして欲しいと思う。

亀助が大切だと思っていただろうものの中の一つだから。


本人は、少々過干渉なお母様を苦手としている感じの話も聞いたことはあるが、きっと大切に思っていたと思う。

亀助は私のことを「〇〇(下の名前)さん」と呼んでくれていた。
私は呼び捨てだったけど。
さん付けなのには理由というか意味というかがある。
ご両親が、お互いをそう呼んでいたから、だと言っていた。
亀助が育ってきた中で、そんなご両親を見ていたから、だから私のことを〇〇さんと呼びたいと言ってくれた。

別に嫌という理由がないのもあった。でも何よりも自分にとって、この上なく愛されていると感じたから、貴方の呼びたいように呼んでくれと思った。


20年以上もの付き合いだ。
喧嘩だってした。たぶん亀助を傷つけたことだってたくさんあると思う。変に気の強い私を、柔軟性を持って寄り添ってくれていたのだ。
敢えて、この話をするけれど、それだけ長いこと付き合ってて、結婚しないできないできなかったのには色んな理由がある。それを言葉にしてわざわざ発信するつもりはなし、親しい友人など以外には聞かれても答える気はない。

よほど強い雨じゃない限り、お互い傘を持っていても、大きい方の傘で相合傘をしていたし、映画館や美術館などで並びでいるときには常に手をつないでいた。
「ほの暗い水の中で」(というホラー映画)を見たときに、あまりに怖すぎてビクっと震えたら、そっちの方が怖かった、と言われたこともある。
手を繋いで歩いてるときに、ちょっと手を放したいときは、2度ほど、握っている手を強弱付けてにぎにぎすると何も言わずに手を放す。
積み重ねてきて、何も言わずに当たり前なことになった行動がたくさんある。


上京してそう経ってない頃。
自宅で読んでいた雑誌に「何かしてもらった時はすみません、という謝罪ではなく、ありがとう、とお礼を言う方がいい」(とても要約してます)、という話を読んで、その内容が自分にとってはとてもしっくりしたので、それから出来るだけ「ありがとう」も言うようにしていたら、亀助にもそれがうつったことも、そんな変化の一つだと思う。

 

三年前。
そんな小さな変化も、たくさんの当たり前も、もう二度と訪れなくなってしまったけど。


結局、裁判とかがどうなったかなんて聞いてない。日本の制度からいって、もしかしたらまだ終わってないなんてこともあるかもしれない。

たぶん、なんのご連絡も受けてないので、まだ遺骨はご実家だ。
お部屋もほとんど手を付けれてないと言っていた。
うらみちお兄さんとか、好きだったマンガの続きを買って亀リラと一緒に読みたいから、またお邪魔出来るようになったら、確認したい。

でも、わがままを、直接言えないけど、わがままを言えるなら、そろそろ納骨してほしい。
私は早く、いつでも会えるようになりたい。

今、もしすぐ叶えてくれる願いを言っていいのなら、早く納骨してお墓の場所を教えて欲しい。
そうしたら、いつでも会いに行けるのに。